平成27年度は専攻主任を務めました。最後の大きな仕事だった学位記授与式の祝辞を記録としてここに掲載します。読み返してみるとあまりまとまっていませんが、自分の反省を含めて。

12名の修士の皆さん、修了おめでとうございます。6年間またはそれ以上かかったかもしれませんが、大学生活はどうだったでしょうか。満足のいくものだったでしょうか。あと10日もすれば新1年生がこの田町校舎にやってきますが、新入生だった自分と比べて、今はどうでしょうか。
私は皆さんよりも法政で過ごした期間は短いのですが、ご縁があって皆さんが修了するタイミングで専攻主任となりましたので、はなむけの言葉を贈りたいと思います。ただし、勝手なことをいいますので、あまり素直に受け取らないでください。こうやってなんだか偉そうにしゃべる人の話を、これから何百回と聞くと思います。そういう話は一定程度把握せざるを得ませんが、吟味せずに受け取るのはやめた方がよい。法政の、特に都市環の学生は素直だから、ちょっと心配です。
2年前、みなさんが大学院を受験するとき、志望理由を書いたり、面接で説明することがあったと思います。「専門性を高める」「この分野をより深く知る」といったことばを使ったのではないでしょうか。
理系はスペシャリスト、文系はゼネラリスト。だから理系は専門家として訓練すればよい。そんなステレオタイプの考え方があります。しかし我々のフィールド(あえて専門分野といいません)であるシビルエンジニアリングでは、スペシャリストとゼネラリストの両方の素養を求められます。それは我々の仕事は全体として社会に対する責任を負っているからです。つまり自分の責任範囲はここまでだから他のことはわかりません、と言ってもそれでは社会に対する説明にならないのです。
私には、自分の専門とは異なる分野で何人かの尊敬するエンジニア、実務者がいます。例えば元国土交通省の西川和廣さん、橋梁の専門家です。鉄道の石橋忠良さん、道路の岩間滋さん。河川環境の福留脩文さん。こうしたみなさんはもちろんその分野の知識の深さや経験は並大抵のものではありません。それよりも私が大切だと思うのは、その専門性に裏打ちされた、仕事に対する価値観や大局観、より具体的には「いま我々が解決しなければいけない社会的問題は何で、いまの当たり前をどう変えなければいけないのか」ということに関する意識です。そうした意識を常に持ち続けているのが、シビルエンジニアの目指す姿だと思っています。
みなさんは4月からそれぞれの仕事につくと思いますが、その背後にある考え方は会社や組織の利益です。シビルエンジニアは、そうした社益のためだけに働いてはいけないと私は思います。就職してしばらくは仕事を覚えるのに精一杯と思います。実は皆さんの受ける新入社員教育の中には、そうした組織の利益を第一に置く思想があたりまえのものとして公然と仕込まれています。「組織のために働く。それが社会人たるもの」ということです。
一方で、いま、この国の、あるいは地方の行く先をどうするのか、大変揺れていることは皆さんも感じていると思います。この10年20年でうまく軌道が示せなければ、この国は厳しい状況になるでしょう。君たちの世代がその方針を考えるときの実質的な中心になる。もちろん少し上の私たちの世代にも相応の役目があります。国の偉い人が考えるのではありません。我々自身に責任があります。そのときには組織の維持や権力争いは些末なことになるのではないでしょうか。それを超えた議論ができるような準備を是非しておいて欲しいと思います。
もちろん、「仕事をきちんと覚える。技術を身につける。経験をたくさんする」ということが基礎になるのは間違いがありません。しかし、大学6年間、特に後半2年で一定程度触れたはずの「シビルエンジニアとしての倫理観や価値観」については、それを所属組織の論理とは切り離して考えられるようにして欲しい、ということです。これは簡単なことではありません。職場以外の情報、技術情報以外の広い教養を自分のものにする努力が要ります。社会の仕組み、世界情勢、地域の文化、歴史、人間、そういったものへの興味を持ち続けて欲しい。
皆さんは大学の学科を選ぶ時点で、一度他の選択肢を捨ててここを選択したことで将来の可能性を狭めています。ここからは、その選択を起点にして、新たに可能性を広げることになります。5年後の自分のため、そして10年後の自分のために何を学んだらよいかを考えて、日々を過ごしてもらえたらと思います。
最後になりますが、今後のみなさんの活躍を心から楽しみにしています。教員にとって、巣立った若者が成長した姿を見るのは大きな喜びです。たまには戻ってきて元気な顔を見せ、後輩に先輩風を吹かせてください。本日は修了おめでとうございます。
(平成28年3月24日法政大学市ヶ谷田町校舎T511教室にて)

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