私の出身研究室の後輩2人が設立した土木デザインの事務所であるeauの設立10周年記念冊子に寄稿した文章です.
「徐々に失われる風景と向き合う」
風景の危機には2種類あると思う。
ひとつは災害などで劇的に失われる風景。もうひとつは気づかないうちに少しずつ失われていく風景。風景とはそこに生きるひとの心の拠り所だから、どちらも深刻な問題である。
eauが設立された2003年はGROUNDSCAPE展の年。美しい国づくり政策大綱が公表された年。翌年に景観法が成立し、さまざまな面で風景のデザインには追い風だった。熱心な応援団も多かった。それから10年、普通のまちにも景観という言葉は普及したが、そこでは淡々と景観の仕事をこなす人が担っていることを感じる。裾野が広がったともいえるが、残念なことに問題意識や危機感は薄い。そうした環境で仕事をすると、実に歯がゆい思いをする。これはふるさとの風景を守る仕事、こんな事業はおそらくこれで最後なんですよ。そんな気持ちで訴えてもなかなか通じない。共有しているのは字面のみ、その先の道のりは容易ではない。
東日本大震災で劇的に失われた風景をどのように取り戻すかが注目されている。喫緊の課題である。だが、住民の意識にすら上らぬまま、徐々に各地で風景が失われていくのにも自覚症状のない病気のような危うさがある。たとえば生活を支えてきた地形や植生が、水との緊密な関係が。風景づくりに関わる者はデザイン・設計が生業だが、当事者にはあたりまえで空気のような存在である風景の価値を、時には声を張り上げて、時には囁いて知らせることも大切な責務なのではないかと思う。普段の風景の価値に気がついていれば、それが急に失われたときにも進む方向は自ずと定まるはずである。
いきなり問題意識や危機感を植え付けるのは難しい。風景づくりの成果、我々の風景へのまなざしをもっと発信しよう。風景との向き合い方から始めて根気よく続けるしかない。
