最近,ある会合で会った方に「先日はきついご指摘ありがとうございました」と挨拶された.
私は景観に関する「学識経験者」として様々なプロジェクトに関わっている.それらの中では,どうしても流れに逆らって自分が正しいと思うことを言わなければならない時がある.もう少し具体的に言うと,「このデザインの方向性は適切ではありません」ということだ.
声をかけてくださったのは,最近そういう指摘をしたプロジェクトの関係者の方だった.なかなか身悶える瞬間である.
景観というのは何かの基準をクリアすればOKというものではないので,どうすればよいのか模索しながら計画や設計を進めるケースが多い.そして,公共事業の予算が少なくなっているなかで,「景観」や「デザイン」を考えようとしたことだけでも,その重要性を信じている者としては有り難いと思う.
しかし,具体的にどのようなデザインにするか,というところでは,残念な計画案を見せられることがある.「残念」とは,「長時間使われ続け,原則として地域の背景となる社会基盤のデザインとしては,適切とはいえない対応.景観に関する誤解」として普段の授業で学生に伝えているようなケースに該当するということである.構造物の角を丸くする,絵を描く,といった例や,地域の歴史文化への配慮が適切でない計画・設計などがある.
実プロジェクトにおける計画や設計というのは,大変な量の知的作業・組織内外との調整の成果である.私が出て行くような会議で公開されるまでには相当の準備がすでになされている.会議の場に至る担当者の作業や苦心に思いを馳せれば,「はい,問題ありません.結構です」と言いたくなる.
しかし,野次馬ではなく,公式な立場で関わっている以上,住民に対する責任があるので,そのような安易な対応は許されない.景観が悪くても人は死なないのだから,別に何でもいいのでは,などという極論もある.しかし,「死ななければよい」という程度で国土や都市を作ってきたことへの批判があるからこそ,景観法ができ,私が意見を求められるのである.だから,そこまで仕事を進めてきた担当者の方には本当に申し訳ないと思いながらも,「まずいものはまずい」と言わなければならない.これは「学識経験者」として呼ばれている以上譲れない線である.
しかし,こういう瞬間は,担当者の方だけではなく,私にとってもハッピーではない.そういう発言をしたあとは,とても気分が悪い.
本当は,計画を具体化する前の方針検討の時に議論ができれば,こうはならないのだ.「景観のことはできるだけ初期段階で検討してください.そうすれば機能や安全性と景観を同時に解決できる計画を検討できます.あとになればなるほどお化粧的になって効果は限定的になるし,コストも高くつきます」実務者の方に話す機会にはいつもそう言っている.

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